時空の鍵穴過去ログ

スレッド No.942

古王朝エジプト彫刻に関する超初歩的質問 [ うささぎ ] 2001.05.04 04:41 No.942
Re: ミスプリの訂正 [ うささぎ ] 2001.05.04 22:24 No.953
Re: エジプト彫刻に関する超初歩的質問 [ たびと ] 2001.05.05 02:51 No.957
Re: ひたすら感謝、感激 [ うささぎ ] 2001.05.05 05:17 No.960
Re: 追加の解説 [ たびと ] 2001.05.05 13:41 No.961

[942] 古王朝エジプト彫刻に関する超初歩的質問
投稿者名: うささぎ
投稿日時: 2001年5月4日 04時41分
たびとさま、ご無沙汰しております。非常にご多忙なことはさとうさんの問いかけへのレスがなかなか投稿されないことからも容易に推察されますが、今回の私の質問は単純至極でして、そうお手間をとらせないのではないかと思いまして・・・・。

そもそも御法度となった「騎馬民族征服説」の是非に関連して「鉄と馬」が俎上にのぼったときから気になっていたのですが、エジプトの初期〜古王朝で鉄が全く知られていなかった、と大昔に習ったのはどうやら間違いで、数少ないながらも鉄製品は検出されているようですね。しかし私の知る限りでは装飾品などの小物み限られているようで、剣などの武器や「彫刻刀」「鑿」などはまだ発見されていないはずですね。違っていたらごめんなさい。

学生時代からかねがね不思議に思ってきたのは美術史の上ではエジプト彫刻の最高峰に位置付けられている《カフラー王坐像》を筆頭とする第5王朝あたりの威厳に満ちた一連の王像が、鉄の工具なしにどうやって製作が可能だったのかということです。砂岩名ならばともかく緑色片岩など見るからに硬そうな石材ですし・・・・。「あの見事なカフラー王坐像」(という表現で岡安さんを挑発)を当時の工人はどんな方法で仕上げたのでしょうか。磨き上げられた表面の仕上げについても疑問はつきません。
わが美術史ではどの概説書でも取り上げられているにもかかわらず、一応古代エジプト美術だけを扱った本でも製作技法に探りを入れた記述にはまだ出会ったことがないのです。日本の飛鳥〜奈良の金銅仏の鋳造法についてだっていまだにはっきりしたことが分かっていない例も多いようですから難題なのは理解しているつもりですが、定説があればそれを、もしなければエジプト学者としてのたびとさんの個人的見解をぜひお聞かせ願いたいところです。

ご多忙なのはわかっていますので、もちろんお答えは急ぎませんが、どうかよろしくお願いします。

[953] Re: ミスプリの訂正
投稿者名: うささぎ
投稿日時: 2001年5月4日 22時24分
私の好きな英語の格言(?)に Do not say what is needless to say. というのがあるのですが、敢えて逆らっておきましょう。

「古王朝」は「古王国」の入力ミスであります。

[957] Re: エジプト彫刻に関する超初歩的質問
投稿者名: たびと
投稿日時: 2001年5月5日 02時51分
うささぎ様

こちらこそ、ご無沙汰しております。
うささぎさんの超初歩的は、専門家にとっては時折「直球、ど真ん中!」という感じがするのですが、今回のものに関しては、私なりにお答えできるものです。おっしゃる通り定説かどうかと言われれば、「定説」というには難しいかもしれません。定説となっていない確定されていない記述が含まれます。連休中故、手許にある限られた文献を参考にしてお答えします。

まず、古代エジプトにおける鉄製品に関してですが、かつて考古学者の多くがうささぎさんと同じ疑問を持ち、鉄製の道具を使用しないでピラミッドなどの石造記念物や硬い石の彫刻は出来ないであろうと考え、3大ピラミッドのあるギザ台地で鉄製の道具を探す試みをおこなった。その結果、ギザやその他の地域で鉄製品が発見されたのであるが、それらはビーズや小片であり、道具ではなかった。分析によれば、それらは天然の隕鉄産のものであり、精錬された鉄では、なかったとされています。

エジプトで最古の鉄製品の記録としては、有名なアマルナ文書にミタンニ王のトゥシュラッタがアメンヘテプ3世に贈った品物のリスト中に鉄製短剣の記載が見られる[EA22.I.32,II.16-19,III.7-9など]。実際の出土品としては、有名なツタンカーメン墓[KV62]から鉄製の短剣、道具の模型などが発見されているのが確実で最も古い鉄製の武器になります。つまり、古代エジプトでは、新王国第18王朝時代末になっても鉄製の道具は極めて高価で貴重なものであり、ミタン二やヒッタイトなど西アジアからの輸入品でした。彫刻刀や鑿などは普及していなかったのです。古代エジプトで鉄の精錬が普及するのは前6世紀以降であり、鉄製農具や武器などの道具が一般化するのもローマ支配時代になってからとされています。

では古代エジプト人が石造彫刻を製作する際の道具は、どんなものであったのでしょうか。金属器としては銅製や青銅製の鑿が考えられます。また石灰岩など比較的柔らかい石材には、青銅製鋸なども使用されたでしょう。一般的に古代エジプトの石の加工技術に関して、先王朝末期までに石製容器の加工技術がほぼ完成され、石製ドリルを使用し、ナクソス島(キクラデス諸島)産「金剛砂」を使用して仕上げられたと考えられています。

さて石製彫像の製作においても、砂岩や石灰岩などの場合は、銅や青銅製の鑿が加工に使用されたことは間違いありません。またフリント製の道具も使用されたようです。一番問題となるのは、うささぎさんの疑問のような硬質の石材(花崗岩、閃緑岩など)の場合です。大英博物館から出されているEgyptian Sculpture(by T.G.H.James & W.V. Davies),1983,pp.16-17.によれば、硬質の石材の場合は青銅製鑿ではなくて、むしろ硬い材質の石のハンマーや砥石などを使い時間をかけて加工したと考えられている。さらには、ドリルを使い穿孔する技術も使用された。穿孔の際や最終的な作品の研磨には、砂が利用されていたようである。現在も研磨材としては砂が利用されているのと同様である。石材研磨における砂の利用に関しては、プリニウスの『博物誌』に「ナクソス砂」として金剛砂の利用について記載がある。
Zuber,A. "Techniques du travail des pierres dures dans l'Ancienne Egypte",
Techniques et Civilisations, V(1956), pp.161-180, 195-215.にも古代エジプトの銅や青銅製の鑿や斧などは、木材や柔らかい石材の加工だけに利用されたのであり、硬質の石材の加工には石製の道具が利用されたとあります。
古王国第4王朝のカフラー王座像のような硬質の石材を使用した彫刻が、金属器ではなく石製の道具で作られたということは驚きであるとともに、どのように加工したのだろうかという想像力をかきたてられることは事実です。でもこれが現在の「定説」であります。

[960] Re: ひたすら感謝、感激
投稿者名: うささぎ
投稿日時: 2001年5月5日 05時17分
たびと様

ご多忙の中で初歩的質問に対して懇切丁寧きわまる、そして非常にレヴェルの高いご解説を賜り、深く感謝しつつ、たちどころに一流の専門家から無償でご教示をいただけるネット掲示板の有難さについて改めて痛感しております。

青銅の硬度の乏しさについては、主にブロンズ彫刻の表面の傷のつきかたなどから素人なりに想像しておりまして、やはり極めて硬く耐久性に富む石材の工具による製作であろうと推測していましたが、まだ少々の疑問は残っているにせよ、これで学生にもあまり気後れせずに説明できると思うと嬉しくなりまして、ひたすら感謝感謝です。

ただ確認のために重ねておうかがいしますが、そうした硬質の石材を素材とする彫刻の制作に用いたとおぼしき石器の存在は、出土遺物によって確認されているわけではなく、むしろ一種の消去法と実験考古学の成果(?)に基づいたものと考えてよいのでしょうか。
それともう一つ、花崗岩や閃緑岩のように本当に硬く加工の困難な材質の彫像の制作に使われた「さらに硬い石材」は何だったとお考えですか。あいも変わらず質問ばかりで「機能」のない人間で情けなくなりますが、これまた急ぎませんものの、何らかのご教示を賜ることができればこれにまさる喜びはありません。
それとともに確認したいのは「石材研磨における砂の利用に関しては、プリニウスの『博物誌』に「ナクソス砂」として金剛砂の利用について記載がある」とありますが、これも古王国のエジプト彫刻に直接言及してはおらず、あくまで研磨剤としての砂の活用と、特に尊重されたナクソス産のものを挙げているだけですね。古王国時代のナクソスの文明については知識が皆無ですし、そもそもエジプト―ナクソス間の公益がいつごろ開始されたのかも見当がつかないものですから・・・・。

最後に反省。James&Daviesの”Egyptian Sculpture"ってシリーズ名はないものの続々と刊行されているBritish Museumの薄い初心者用ガイドの一冊ですよね。このシリーズ、Greek VasaesやThe Elgin Marblesなど数冊は持っているのですが、あんまりたくさんあるのでエジプト関係は少なくとも4冊あるはずなのに1冊も買っていませんでした。なかなか良く出来たシリーズだなとはもともと思っていたのですが、こうなると今度行った際に全部買い占めてこないといけないな。幸いかさばって置き場所に困るものでもないので、Egyptian Mummiesも含め、できる限り手を広げて蒐集の対象にしようと決意しました。

いくらお礼を申しても足らない気持ちですが、この掲示板「謝意表明禁止令」は流石にまだ発布されていなかったですよね。

[961] Re: 追加の解説
投稿者名: たびと
投稿日時: 2001年5月5日 13時41分
うささぎ様
「である」「です」の混ざった稚拙な書き込みに対して感謝を受け、かえって
恐縮しております。
>ただ確認のために重ねておうかがいしますが、そうした硬質の石材を素材と
>する彫刻の制作に用いたとおぼしき石器の存在は、出土遺物によって確認さ
>れているわけではなく、むしろ一種の消去法と実験考古学の成果(?)に基
>づいたものと考えてよいのでしょうか。

アスワーン(Aswan)の花崗岩の石切場やジャバル・アハマル(Gebel Ahmar)の珪岩の石切場などから、切出す際にハンマー(たたき石:pounder)に使用されたと考えられるdolerite(粗粒玄武岩)の破片が発見されている(Lucas,A.,Ancient Egyptian Materials and Industries,1926(4th ed.1962), London,pp.409-410)。

また古王国時代のマスタバ墓壁面には彫像製作を示す彫刻家のアトリエを描いた壁画(レリーフ)が数多く残されており、木彫や石彫の加工や仕上げの過程を詳細に確認することが出来ます(Eaton-Krauss,Marianne, The Representations of Statuary in Private Tombs of the Old Kingdom,1984, Wiesbadenなどが参考になると思います) この本の中でも鑿は、木材や軟らかい石材に使用された(p.49)と述べられています。木彫では斧も使用されたとされています(p.51)。しかしながら、硬質石材を使用した彫像製作場面としては、新王国第18王朝のレクミラ墓(TT.100)壁画に赤色花崗岩の彫像の仕上げに石が使われているところが存在しています。

またZuberは、青銅製の鑿が硬質の石材に使用されなかった根拠として、硬質石材で製作された未完成の彫像に金属のピックや鑿の痕跡が見当たらない点を指摘していますし、また実験的に小さな花崗岩の頭部をフリント製道具だけで加工する(研磨は含まず)のに、36時間しかかからなかったことなどをあげています。

>それともう一つ、花崗岩や閃緑岩のように本当に硬く加工の困難な材質の彫像
>の制作に使われた「さらに硬い石材」は何だったとお考えですか。

dolerite(粗粒玄武岩)の鎚(maul)や球状の敲石(pounding-ball)などが遺跡から発見されています(Clarke,S. & R. Engelbach, Ancient Egyptian Construction and Architecture, 1930, London. p.227.)dolerite(粗粒玄武岩)以外にも、フリントや硬度が7以上の石材が使われたとする説もあるようですが、例えば、緑柱石(beryl:硬度7.5),トパーズ(topaz:硬度8),金緑石(chrysoberyl:硬度8.5),ルビー(ruby:硬度9),サファイア(sapphire:硬度9),ダイアモンド(diamond:硬度10)など、ただこうした硬質石材の採掘はどうしておこなわれたかという疑問もあります。
そこで恐らくもっともありそうなものとしては、石英の粉末や金剛砂を利用して石材の切り出し加工が行われたという考え方です。
金剛砂(emery)は先王朝時代から初期王朝時代にかけて多くが発見され、石製容器の加工研磨剤と考えられている。エジプト・キクラデス諸島の関係については、先王朝末期に、この「金剛砂」が交易品目に加えられたとされている。クレタ島などからは先王朝末期の石製容器も発見されていると思いました(文献手許にないので記憶で失礼)。ではまた。

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